橋の上と橋の下
初めての投稿になりますが、お散歩中などに考えていたことをせっかくなので書き留めておこうという意図で始めました。 書き留めるだけではブログにならないので、その解説も載せていきたいと思います。
新見沼大橋にて
さて、新見沼大橋というのをご存知でしょうか。国道463号を東方向に進んだところ、芝川という川を跨ぐかたちで架かっているのですが、有料道路であるがゆえに検索すると「新見沼大橋 迂回路」とサジェストされる有様。通行料から利用を敬遠されている現状がwikiに書いてありました。
COVID-19の流行で家に閉じこもるようになると、これが予想以上に疲労がたまるもので、通常時はほとんど行かない、駅から遠ざかる方向に気晴らしに散歩することが増えました。実はその国道463号が車道も歩道も広々としており結構お気に入りのお散歩ルートなんです。そんなわけでこの前、芝川沿いまで行ってやろうと意気込んで、新見沼大橋を渡るに至ったわけです。
有料道路とは聞いていたのですが、歩道もちゃんと敷かれていて、河畔の田園風景と遮るもののない青空を堪能できるよきお散歩コースでした。自転車は通行料20円らしいんですがこれはギャグなのでしょうか。しかも橋の東側の入口にしかない料金徴収箱にセルフで20円投入するシステムで、西から入って西から出ればサイクリングし放題ですね。橋の入口出口が河畔から体感500mくらいは離れていたので、橋の上から芝川を眺めることはできたものの、橋を途中下車する手段がなかなか思い浮かばず、結局疲れて川沿いを歩くことは断念しました。
橋の上は安心か?
時期が時期なので、こんなことを考えるわけです:
有料道路は素晴らしいよ
— HLH (@polymerase_96) 2020年4月19日
静かだし道広いし人少ないし空綺麗だし、ウイルスは重量で橋の下に落ちてくれて安心だし pic.twitter.com/OMoO5QqSAr
実際ウイルスは落ちてくれるのでしょうか。たとえば経験的に、数グラムの重さであるビー玉は一度地面に落ちたら勝手に高いところに戻ることは二度とありません。一方で、個つまり1兆×1千億個集めてやっとビー玉くらいの重量になる酸素分子ではどうでしょうか。少なくともマンションの1階から10階に上がって窒息した人はいないので、数十メートルくらいであれば制限なく動き回っていそうです。その間に位置するウイルスはどうなのか、当然疑問に思うわけです。
ちょうど足の裏が擦れて痛くなってきたので、ウイルスの重量をwikiで調べてみました。kgからkgくらいとのことで、この情報からウイルスがどれくらいの高さまで上がってくるのか計算できる気がします。言い換えると、ウイルスは熱エネルギー(正しい表現ではないですが...)でどれほどの位置エネルギーを獲得できるのか、これが分かればよいわけです。ここまで来れば、カノニカル分布だろうと簡単に連想できましょう。
カノニカル分布とは
カノニカル分布は統計力学の一つの偉大な成果で、理系の分野だけでなく、この前は経済学でも使われているのを見ました。式はまぁGoogleで調べてもらえればいいのですが、日常生活で使う分には次の形で理解すれば十分でしょう (*注1):
は絶対温度、ボルツマン定数をかけることで、は「熱エネルギーの平均」という値になります。この日はだいたい20℃くらいだったと思うのでJくらいの値になります。生物の体内でのATP加水分解エネルギーがこの10倍くらいの値なので、熱エネルギーで解決できないことはATPで解決するわけです。
以上からは「平均熱エネルギーの何倍のエネルギーをもらうか」という値です。このことを考慮すると、上の式はさらに簡単になります:
(*注1) ここでは二状態の系を仮定して進めています。
ウイルスはかなり重い
準備が整ったので、計算に進みましょう。ビー玉、ウイルス、酸素分子が、1m高いところに上がれる確率を求めます。位置エネルギーの式を思い出しましょう。ここで、です。
ビー玉がkgだとすると、1m上がるのに必要なエネルギーは
であり、これは20℃での平均熱エネルギーの約倍で、、つまり1m上がる確率は限りなく0に近いということで、これまでの経験通りです。
続いて酸素分子は約kgなので、1m上がるのに必要なエネルギーは
であり、平均熱エネルギーの倍で、、つまり99.99%の酸素分子は勝手に1mまで上がってこれるわけです。山の上くらいの高さになると、さすがにこの確率が下がってくるみたいですが。
最後に、軽いウイルス(kg)の場合を同様に計算すると、1m上がるのに必要なエネルギーは
であり平均熱エネルギーの数十倍くらいで、であるのでほとんど上がってこれません。ウイルスって結構重いんですね。実際はくしゃみとかでは水分をまとっているのでさらに重くなりそうです。
風が吹くか何らかの意思が働かない限り、橋の下で誰かくしゃみしても橋の上の僕は何も怖がる必要がないことが分かりました。かなり家から離れてしまったので、家に着くのはもうしばらく歩いてから。